駆け抜けた日々

プチ介護 

その後

結果的に自分の手術は成功し、

回復も順調で今は何事もなく生活できていた。

 

 

しかし、退院後1ヶ月にじぃは

容体が悪化し入院

 

そしてその数ヶ月後

歩行困難になり、意識もあるのかないのか分からなくなり、次に会えたのは病院からの連絡があった時。もう長くはないから親戚は病室に入っても良い許可が出たのだ。コロナの関係で、入院した時から衰弱するまで家族でさえも入室できなかった。唯一できたのはナースからどんな様子かだけ聞く事だけだった。

 

そして病室に入れるのは3人まで。タイミングがかぶってしまったら時間差で入る事に。

 

 

その時じぃは既に衰弱しきっていて

声を掛けても分からない状態になっていた

 

 

その後もじぃに何回か会いに行ったが、

言葉を交わす事は一度もなかった

 

 

 

そして最後に会いに行った数日後、じぃは息を引きとった

 

 

 

こうして

じぃの人生は幕を閉じた

 

 

 

 

 

駆け抜けた日々だった

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんの少しだけ心残りは

じぃの葬式の納骨の際、コロナの関係で人数制限されて自分はその中に入れなかった事。

所詮、外孫は外孫。嫁にも出てるので近い親戚ではない訳で…仕方ない。

 

 

最後の関わり方が濃厚だったせいか

納骨に参加できなかった私はじぃがまだ生きている気がする感覚がしばらく抜けなかった

納骨って大事な儀式だなって深く実感した

 

 

少し寂しかったのが本音

 

 

そして自分がやってきた事は

間違ってたのかなって思ってしまった事

 

 

もちろん今はそんな事1ミリも思ってない

 

きっとじぃだって納骨に参加できなかった事より最後に一緒にいられた時間を喜んでくれてるに違いない

 

 

 

 

この文を記す際

もう一度読み返して

色々思い出して

笑って、そして泣いた

 

 

まるでタイミングを伺っていたかの様な時期に孫として生まれ、最初から決まっていたかのようなシチュエーションで現実化していく事になんともいえない気持ちになった

 

あの時期でなければ

プチ介護に携わる事ができなかった 

 

そしてその日々の中で学ぶ事は多く

とても貴重な思い出になった

 

 

 

思い出がこんなにあたたかいなんて

知らなかったよ

 

 

教えてくれてありがとう

 

本当に感謝しかない

 

 

 

すぐに色々と忘れてしまう体質なので

記しておいて良かった

振り返る大切さも知る事ができた

 

 

 

 

最後の最後まで

 

ありがとう

 

 

終わりに

ここまで思い出すように

ざっくり書き起こしたのだが

本当はプチ介護で沢山笑って

沢山面白い事があった事を伝えたかった

 

 

文面が淡白のせいか

面白みに欠けてしまった

 

 

最後にこのプチ介護を記そうと思ったきっかけは、手術の際の死亡率が1.43%となっている

 

もちろん死ぬ気はしてない

 

でも万が一のことを考えて

いつかやってみたいと思ってたうちの

1つだったじぃばぁとの日々を書きたかった

 

 

 

 

私の経験が誰かの役に立てたとしたら幸いだ

 

 

 

 

 

 

 

さてと

 

そろそろ時間だ

 

手術に備えるとする

 

 

頑張ってもらうのは

執刀医の先生方々

私は身を委ねるだけ

その後は自分次第

 

 

不思議と不安と恐怖はさほど無く

次へのステップへと満ち溢れている

 

 

きっとこの経験がまた私を強くしてくれる

 

 

こう思えるようになったのも

毎日を脱ぎ捨てるように

生きられるようになったからかもしれない

 

 

 

今日も生きていてくれてありがとう

ここに住まわせてくれてありがとう

この地球に住まわせくれてありがとう

 

 

今まで出逢ってくれたたくさんの方々

関わってくれてありがとう

 

 

 

 

もし明日があるのなら

今と変わらず希望に満ちた

悔いのない人生を生きていたい

 

やりたい事をやる人生

なんだかんだ言って

やりたい事はやってきたのだが

 

結局自分の事はいつだって後回しだった

 

それに気付くまで

だいぶ時間がかかってしまった

 

 

 

自分の軽い病気が発覚したのは3年前

その時に自分の死を改めて意識した

 

 

例えばもし

今命が尽きて

棺桶に入った自分を想像したら

 

 

 

 

 

やり残した事は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あった

 

 

 

今を生きよう

やりたい事をやろうと強く思った

 

 

今できる事

今しかできない事

今だからできる事

 

自分にできる事

自分しかできない事

自分だからできる事

 

 

悔いのない人生を生きる

 

 

 

そんな風に思えるまで

何かアクションが起きないと

気付く事ができないのは

人間の未熟さ故の事

 

 

病気にならなければ

気付かなかった

 

 

これもまたありがたい事だ

 

 

 

 

 

 

人は生まれたと同時に

死と隣り合わせで生かされている

明日が来る保証などどこにもない

 

だからこそ1日を大切に生きたいと思える

 

 

それは分かっていた事なのに

まだまだだった

 

 

 

介護の仕事をやってて良かった

じぃばぁに恩返しもできた

親孝行もできた

それに毎日好きな事をしてる

 

 

 

 

私の人生悔いなし

 

 

プチ介護に終わりを告げる日

自分が健康体でなければ

人のお節介さえ焼けない

 

 

ましてやこれから手術を受ける事になる

 

 

意を決して

叔父に介護ができない事を告げた

 

介護サービスも手続きや施設を探すのに

時間がかかるので即決だった

 

 

 

もう明け渡そう

 

 

 

 

私ここまで恩返しできて幸せだよ

 

後悔しない選択ができたよ

 

自分がやってきた事にちゃんと意味があったよ

 

 

 

 

それからじぃばぁにも

しばらく来られなくなる事を伝えた

 

じぃが

少し悲しそうな顔をしていた気がした

 

ばぁは

手術の事を心配していた

 

コロナの事もあるし

もう中々会う事も出来なくなる

 

 

 

最後の日

ばぁはひたすら喋り続けていた

 

笑って話はしていたが

ひしひしと寂しさが伝わってきた

 

帰るなよって

心の中で言ってる気がした

 

 

 

 

 

でももう帰らなきゃ

 

 

 

 

 

 

今までありがとね

 

激痛

2020年4月のいつかの土曜日

 

仕事で疲れて午前中いっぱい寝込んでいた

 

ちょうどお昼位に身体に激痛が💦💦

 

 

 

 

なんだこれは

 

動けないし立てない

 

 

 

とにかく痛い

 

 

 

救急車を呼ぼうとしたが

その頃はコロナも広がっている渦中だった

 

 

もう一回寝れば治るかもと思い

 

少し寝てみた

 

 

 

激痛は治ったか鈍い痛みが残る

 

 

今日は土曜日だし

明日になったら病院は休みだ

念のため自力運転で

診察を受け付けている病院へ向かった

 

 

検査の結果

 

 

元々持っていた持病が

悪化していることが分かった

 

 

 

 

大きい病院に紹介状を出され

手術の運びとなる

 

 

 

状態が悪化

とうとうじぃも

歩く事もままならなくなった

 

 

トイレも床を這ってやっといける程度

洗濯もお風呂も自力でできなくなり

 

叔母達と協力しあって洗濯機を回し

週に2.3回お風呂介助を私がやる事になった

 

 

じぃの身体も弱ってきてガリガリになってしまった

 

今までは威勢よく威張っていたじぃも

話す言葉も弱音ばかり

 

 

気の毒だと思ってしまった

 

 

まぁとにかく今は私ができる事を

惜しみなくやろうと思った

 

 

比較的、促せば

身体を洗ったり服を着たりできたので

断然楽な方だ

 

 

過去に福祉系で働いていた時は

暴言を吐かれたり、思いっきり叩かれたり

そんなの日常茶飯事だったので

穏やかな介護だった

 

 

頭のどこかでこの状態が

ずっと続かない事を覚悟していた

 

元気なうちにたくさん話をしておこうと思った

じぃの口癖

段々じぃばぁの世話も慣れてきて

スムーズに事を回せるようになった頃

 

じぃは

 

「りんは命の恩人だ」

 

と悲しそうに言ってきた

 

 

初めて言われた時は

そんな大袈裟なとも思ったが

グッとくるものがあった

 

ありがとうと言われる度

心が満たさる日々だった

 

 

 

 

うちのじぃばぁは誰かに何かを頼むことを拒み、誰かが手を差し伸べるまで待つ習性がある

 

だって本当なら

同じ敷地内に住んでいるちさや叔父に

頼み事を言えばいい話

 

それがいつの間にか

色々私に頼み事をするようになった

 

自分が事情があって頼み事ができない時

ちさに言うんだよって言ったところで

みんな仕事や何やらで忙しいから

頼むのも頼めないんだよ

って

 

 

家族なのに遠慮して中々言えないようだ

 

 

 

元々家族仲がそんなによくない事は

昔から知っていたから

強く責める事はできなかった

 

 

にしてもあの頑固なじぃから

あんな言葉が出るなんて思いもしなかった

 

 

それからというもの

じぃ宅に行くたびにに命の恩人だと言っていた