駆け抜けた日々

プチ介護 

有料老人ホーム

次に働いた有料老人ホームは

 

衛生面など完璧で

他のサービスも充実している

年間のイベント事も多く

飽きない仕組みとなっている

 

 

ただ

仕事の内容が社員とパート関係なく

責任を負う事が多いように見受けられた

 

 

入浴介助などは

人手が足りない時は社員パート関係なく

午前中にスタッフ1人から2人に対して

10人介助

 

 

もちろん手助けが必要な方ばかりで

かなりのハードスケジュールになる

 

 

この時間帯に入浴できなかったら

2日後に持ち越される

 

 

 

とにかく無我夢中だった

 

 

 

心が…なくなった訳ではないが、

 

 

1番始めに特養で働きはじめた時に感じた

 

 

 

“あなた達の心はどこにいった?”

 

 

 

この言葉の向こう側に来た気持ちになった

 

 

 

“忙しい”

 

 

書いて字の如く

 

心を亡くす

 

 

一歩手前まで来ていたかもしれない

 

 

 

人手が足りず

毎日帰ってぐったりする日々だった

 

 

 

魅力

それから1年もたたないうちに

家の事情で止む無く

一旦仕事を辞める事になった

 

 

 

 

 

仕事最終日

予想もしない出来事が起きた

 

 

スタッフや利用者の方に

最後の挨拶をし

帰ろうとしたその時

 

 

いつも私の事を認めてくれなかった

利用者の菊田さん

 

 

その方は車椅子生活で

お話は普通に出来る方だった

見た目は若い頃はきっと美人さんに

違いないと思わせる位瞳が綺麗なおばぁちゃん

 

でもスタッフに厳しく

いつもダメ出しをされ

先輩の沢田の事を特に気に入っていて

私には目もくれないようだった

 

 

その菊田さんが

私の手を取り

 

「りんさん、辞めてしまうのかい?寂しくなるね」

 

 

と涙を流してぎゅっと手を掴んできた

 

 

 

 

ちょっと待って

 

 

 

こんな展開予想してない

しかもこんな自分のために

涙まで流して…

 

 

 

だって毎回介助する度

ダメ出ししかされた事ない菊田さんに

そんな事言われるなんて

 

 

 

 

胸がいっぱいになって

涙が溢れてきた

 

 

 

「菊田さんありがとう。元気でね」

 

 

と施設をあとにした

 

 

こんなに別れを惜しんだのは初めてだった

 

 

 

あっけなく過ぎ去りし日々だが

 

 

私は介護の魅力に取り憑かれ

家のゴタゴタが落ち着いた頃に

今度は有料老人ホームで働く事になった

 

 

脳死

 

 

 

私が初めて携わった場所は特養

特別養護老人ホーム

 

特養は介護級が最上級な利用者の方が多い

 

認知症や寝たきりの方が半分以上を占めていた

 

 

 

その中でも

寝たきりな上に目も開けられず

話もできず食事もできない

利用者の方が何人かいた

 

 

 

脳死状態だ

 

 

 

 

 

私は日々仕事に勤しむ中で、

 

もし自分が同じ立場だったら

 

これは幸せなのか?

 

ただ呼吸をするだけの1日に

 

意味があるのか?

 

 

そんな事を思わずにはいられなかった

 

 

 

 

 

その方の介護に携わるたびに

頭の中を駆け巡っていた

 

 

 

 

 

あまりにも衝撃的で

仕事を始めたばかりの頃は

ショック状態が続いた

 

 

 

 

沢田さんにもそれとなく話してみたが

分かった事が

 

 

その利用者の家族が

寝たきりになっても話せなくなっても

生きて欲しいと言っていたらしい

 

 

 

私は利用者の方の気持ちになってみた

 

 

 

まずベッドの上に寝て

 

動けない

 

話ができない

 

目も開かない

 

トイレも

 

お風呂も

 

自力ではできない

 

好きなものも食べられない

 

毎日経管栄養

 

毎日おむつ

 

毎日真っ暗

 

 

 

………………

 

 

 

これで幸せか?

 

 

生きてる意味があるのか?

 

 

 

 

 

その時は答えが見つからなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでもその方に心がなかったとしても

 

 

満足のいくサービスを心がけようと思った

 

 

 

 

 

 

 

そうしているうちに

 

 

 

 

 

自分達は介護をさせて頂いてるのだ

 

ありがたい事だ

 

勉強させて頂いてるのだと

 

自分なりに答えを導き出した

 

 

 

 

 

 

始めから見返りを求めている訳ではないが、

 

感謝しなければならないのは

 

こちらの方だった

 

 

 

 

 

 

 

この事に気付いて

ショック状態からだいぶ落ち着いたのだが

 

 

 

 

 

 

もし選ぶ権利があるのなら

 

自分の延命治療はお断りしたい

 

そう思わずにはいられなかった

介護士を目指して

現場は私が思い描いていたものとは

全くもって違っていた

 

 

 

仕事として携わる前から

情報として知っていたのは

人手が足りないという事

 

 

 

 

それは確かだった

 

しかしそれ以前に

現場は颯爽としていて

まるで流れ作業のようだった

 

 

 

 

 

 

あなたたちの心はどこへ行った?

 

 

 

 

 

 

私が勤めた所だけなのかもしれないが

 

公の場では言えないような事が行われていた

 

施設長はそれを黙認し

 

なかったかのような扱い

 

 

 

 

 

胸が締め付けられるような思いだった

 

 

 

 

新人中の新人が口出しできる次元でもなく

ただただ目の前の仕事をこなすしかなかった

 

 

 

リーダーの圧力がすごいし

スタッフは殺伐としてるし

 

 

 

ここは一体どこ?

 

これは何?

 

 

 

 

他のスタッフに心の内を話してみると

 

 

 

「純粋な気持ちでここにきても痛い目に合うだけだよ」

 

 

 

 

って………

 

 

 

 

なにそれ?

 

 

 

 

 

現実とは厳しいもので、

介護士になりたくてなった人ばかりではなく

他の仕事がなくて仕方なく介護士を選んだ人もいた

 

給料だって正直満足のいく金額ではない

 

客観的に

こちらの命を削って

夜勤や宿直をこなしていく

 

 

私はパートだったので

社員スタッフを間近で見ていると

かなりのハードスケジュールで

体調管理も容易ではなさそうだった

 

 

 

大変なのはすごくよく分かる

 

 

 

しかしこの状態を変えるには

自分がトップになるしかないのだと悟り

今は経験を積む事を優先した

 

 

 

もちろん何度も辞めようとした

 

でもやめてまた同じ繰り返しなら

精神的に耐えられるまで頑張ろうって思った

 

 

 

 

 

 

それでも唯一救いだったのは

教育係の先輩が優しい人だった事

私よりも一回り位年上の少し天然系の

沢田さん

 

 

 

何でも優しく教えてくれて

性格もおおらか

それなのにベッドメイキングなど

仕事はテキパキこなす

 

 

先輩から学ぶ事は多々あった

毎日尊敬の眼差しで教育を受けた

 

 

 

 

 

教育係まで厳しかったらみんなすぐ辞めてる

 

 

 

 

 

 

 

自分がもし高齢者になって万が一施設に入る事になった場合間違いなく選びたいと思った

 

 

少なくとも健康体でいる事が一番幸せなんだと感じさせる日々だった

 

資格

そもそも介護職を志したきっかけは

 

 

 

 

20代もそこそこの頃、

ばぁは足腰を悪くしてしまい 

少しだけ寝たきりになってしまった

 

 

 

 

 

その時に言っていたのが

 

 

 

 

"他で面倒みてもらう位なら死んだほうがマシだ"

 

 

 

 

 

 

そんなに嫌なのね

 

 

 

 

 

 

 

そして母方の祖母も

同じ時期に足が悪くなり手術したりと

色々な事が重なり

 

 

 

 

だったら

自分にできる事はなんだろう

 

 

 

 

と考え、思い切って

介護の資格をとりに行こうと決めた

 

  

 

そしてその流れで

介護の勉強の為に

特別養護施設の門をくぐったのが

始まりだった

糖尿病予備軍

それから何度か病院に診察を受けに行くのだが、

 

 

じぃのQOLが著しく低下して

 

 

介護までいかなくても介助が必要な状態になった

 

 

 

 

 

 

食事の際は食べたものをポロポロこぼし

 

トイレも便座を上げずに用を足そうとしたり

 

色々なものにぶつかっては出血し応急処置

 

 

 

 

 

そして

何度目かの診察の時に

血糖値が上昇し糖尿病予備軍

の疑いがあるとの指摘を受けた

 

 

糖尿病の治療といえば

インスリン投与

 

 

 

決まった時間に腹部に注射をする

 

 

 

 

がしかし

じぃは目が悪くしかも若い頃に仕事場で指を切断し

左手の人差し指と中指と薬指がない

 

 

 

自力では難しいのである

 

 

 

そこで叔父から色々と相談があり

父の提案で私がインスリン投与に携わる事になった

 

 

 

 

仕事を午前中で切り上げて

午後からじぃ宅へ

注射だけではなく買い物もついでにする事になった

 

 

 

ここから

プチ介護生活が濃厚になっていく

 

 

 

その前に

次から私がみた

介護の現場を紹介しようと思う

じぃが倒れた

2018年夏

 

外は熱中症注意報が出てる中

 

じぃが倒れた

 

 

 

 

察しの通り

 

 

熱中症💦

 

 

 

 

急いで病院へ

 

 

今度は本家から車で北へ15分

 

 

 

「じぃ……」

 

 

 

病室のドアを開けると

 

じぃはベッドに横たわりぐったりしていた

 

そのそばにちさと車椅子に乗ったばぁ

それと弟も先に来ていた

 

 

 

とにかく命に別状はなかった

 

 

 

 

 

 

 

それは良かったのだが

先生から

横紋筋融解症の疑いがあるとの事だった

 

記憶が確かなら

簡単に言うと筋肉が破壊されてしまう?

病気だったと思う

 

 

あの時はプチパニックで、

恐ろしい病名が強烈すぎて

先生の説明があまり頭に入ってこなかった

 

 

 

確かなのは今まで通り普通の生活ができなくなるという事が分かった

 

 

 

 

じぃは真夏の炎天下の中

畑作業に勤しんでいたらしい

 

 

 

 

 

85歳になる高齢者が…

炎天下の中

35度以上の気温に耐えられるとでも?

 

 

 

 

本家の敷地内に住む

ちさ夫婦と叔父夫婦は

日中仕事なので誰も目を配れる人がいない

 

 

にしてもまさか熱中症

 

で………

 

こんな事になるなんて

 

 

 

 

その日から何日か入院する事になった

 

 

 

 

父や叔母に連絡をして診察を済ませて

それぞれ帰宅した

 

 

 

しかしその後数日もたたないうちに

病院から追い出される事に

 

 

 

 

そう

 

 

じぃは超絶わがまま

 

 

きっと入院中に沢山のわがままを言い

文句を言い

ナース達もお手上げだったのだろう

 

 

病院から追い出される頃には

病状も少しは良くなり

なんとか生活できるようにはなっていた

 

 

 

 

よくよく考えて

 

病院から追い出されるって

 

 

どんだけーーー‼︎‼︎